ニューヨークシアターワークショップの最新作「Red-Eye to Havre de Grace」は、作家エドガー・アラン・ポーの最期が彼の詩や手紙、そして時折のアクロバティックダンスを交えながら、自然保護官スティーブによって語られる構成である。ルシディティ・スーツケース・インターコンチネンタルが約十年の歳月を費やした本作で、ジェレミーとディビッド・ウィルヘルムは芝居だけでなく、劇中音楽の作曲も兼任している。ポー役にはイアン・ツーヒイ、バージニア・ポー役にはアレッサンドラ・ラーソンを迎え、監督はタデウス・フィリップスが担当した。
ピアノとオルガンに加えて、セットの車輪付ドア(机の機能も果たせばテーブルとしても機能し、更には廊下にも変容する)は、舞台の上を縦横無尽に動き回る。ポーは義理の母(彼女は叔母でもある)へ宛てたニューヨークからフィラデルフィアまでの生活が綴られた手紙をフィラデルフィア文学会へ提出する。
作中では、ポーが狂気に満ちていく過程は極端に芝居がかった演出である。彼の亡き妻(いとこでもある)バージニア役を演じたアレッサンドラ・ラーソンは、そこかしことポーの周囲を踊り回ることで、彼女の影響が如何に大きかったかを体現しているのである。イアン・シリーはポーの個人的な部分に踏み込みながらも、時折ポーに笑顔をもたらす存在でもある。
エドガー・アラン・ポーの人生が如何なるものであったかを知らない、或は覚えていなくとも、作中での解説や字幕が、シーンの背景理解を補助してくれる。最も衝撃的なのは、ポーの死の知らせだろう。傑出したシーンもある中、途中途中、期待が裏切られる場面もある。演劇という観点においては、明解なストーリー構成だが、何かが足りない。まるで、長年に渡る作品の発展は、洗練をもたらすと同時に、当初の偶発的要素を失った様に思える。
本作自体は、多少行き過ぎた感はあるが、想象と狂気を行き交う物語である。私には不思議な事がある。どうして「今」この作品なのか。我々は、ポーの生きた最後の数日に何を学び、またどうして亡くなる前の彼が苦悩する姿を観たいのか。だが、そんな事はもうどうでもいいのかも知れない。ただ美しい所作に音楽とポー自身の言葉を堪能出来るだけで我々は充分満足なのだろうと思う。
TRANSLATION to Japanese by Hiroya Matsumoto, New York