ゼロ・グラビティー (“Gravity” in Japanese)

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「グラビティー(邦題:ゼロ・グラビティー)」は宇宙彼方が舞台の物語である。「絶体絶命の危機にヒーローの運命は!?」というこんなお決まりのシナリオもアルフォンソ・キュアロン監督の手にかかれば、タイトルの如く、我々に胸躍る、未だ見たことのない世界を見せてくる。

サンドラ・ブロック演ずるはミッションスペシャリストのライアン・ストーン博士。彼女が船外にて宇宙船の修復作業を行っているまさにその時、付近の衛星が爆発してしまう(「付近」と表現してみても、勿論宇宙空間においての相対語としての「付近」である)。彼女に襲い掛かるのは膨大な宇宙ゴミの波で、それにより宇宙船は損傷し、ブロックはジョージ・クルーニー演ずる、ムードメーカーで冗談好きの隊長ともはぐれてしまう。

彼らにはただ空しく虚無の世界を漂うしか事しか出来ない。怒涛の如く次々に、手に汗握るシーンや間一髪で危機を免れるシーンが続く中で、ブロックはクルーニーとはぐれ、やがて一人になり、そして命を懸けた戦いが始まる。

彼女は無事に帰還する事が出来るのか?それとも新たな犠牲者となるのか?

ブロックは一流の女優である事は周知の事実である。だからこそ、本作は彼女を主役に据えているのである。その卓越した演技力故、多くのシーンはブロック一人で語られる。そこにあるのはただ、彼女の声と到底完全に意味など理解できないコントロールパネル機器、それに船内の機器それだけで、言葉の通じる最新鋭のロボットが傍に付き添ってくれるわけではない。

-本作を見ていない人は以下を注意して読んで頂きたい。本作の核心部に少々触れる。-

ブロックは何とか遺棄船を渡り歩きながら避難所を確保していく。怯えながらも(そうでない人などいないだろうが)、彼女の生に対する意志は極めて強く、果敢に、的確に目の前の困難を乗り越えていく。

ここには先程同様、タイムマシーンなども存在しない(本作はアンチ”スタートレック”である)し、誰かが声を聞きつけて助けに駆けつけてくれる事もない。もしも希望があるならば、残された宇宙船と彼女自身の知識、その2つだけである。

キュアロン監督と製作チームの傑出した力によって、本作は視覚的表現においても素晴らしい作品に仕上がっている。

固唾を飲んで見つめるオープニングシーンで、遠くに浮かぶ地球を背にブロックとクルーニーは幾度となく暗闇の中を宙返りしながら、徐々に我々の目から遠く離れていく。激しく、膨大な量の宇宙ゴミと衝突したことで、宇宙ステーション全体が完全に破壊されてしまう。

本作には”ライフオブパイ”と微小の類似点もある。目にするもの全てが、勿論本当のものなど何一つないのだが、あまりにもリアリティに溢れている点である。

細部の表現へのこだわりもまた本作の非凡さを感じさせる。ブロックもクルーニーもただ単に宇宙空間を飛び回るだけでなく、彼らはゆっくりと、真っ逆さまに、あるいは前後転して見せてくれる。そこには重力つまり”グラビティー”が存在しないという事である。またブロックが苦しみ喘ぎ呼吸が早まれば、彼女のヘルメットは呼吸に合わせて白く曇るし、突然宇宙船に穴が開けば、全ての音は突如、完璧に聞くことが出来なくなる。やはりそこは宇宙なのだ。誰かの叫び声に耳を貸す人はここには一人としていないのである。

爆発する惑星もなければ、宇宙人も存在しない。広大な宇宙で絶望の淵に立たされ、それでも尚諦める事無く生還への希望を求め探し続ける女性宇宙飛行士。ただ純粋に彼女の目線から語られる壮大な物語である。

目まぐるしい展開とアクションに溢れた90分間。本作は今年度最も稀有な作品の一つである。